古今東西役者揃『五代目岩井半四郎』
古今東西役者揃、第十回目は『五代目岩井半四郎』。
安永五年(1776)生・弘化四年(1847)没。屋号は大和屋。
俳名は杜若。四代目半四郎の子。文化・文政期を中心に活躍。
幼名・長松から天明七年(1787)十二歳で粂太郎を名乗り初舞台。
娘方から若女形となり、文化元年(1804)二十九歳の時に
五代目半四郎を襲名。天保三年には息子に名を譲り、
以後は俳名の杜若を芸名とする。六代目、七代目半四郎を継いだ
息子たちと区別して「杜若半四郎」「大太夫」と称された。
『目千両』と称された美貌と愛嬌に加えて台詞回しに優れ、
所作事にも堪能であった。化政期を代表する女形であるだけでなく、
女形ながら五代目幸四郎、三代目三津五郎と並んで実質的な座頭を
務めるほど大きな存在であった。愛嬌がありすぎて、愁嘆場やお姫様役は
不向きと言われたものの、父四代目に似て芸域は広く、
八百屋お七や『妹背山』のお三輪、『千本桜』のお里といった娘役や
『助六』の揚巻といった役を得意とし、女五右衛門や女熊坂も演じた。
立役も兼ねて曽我五郎、放駒長吉等が好評で、
中でも白井権八は一代の当たり役で、以後六代目・七代目の半四郎にも
受け継がれた。巧みな台詞回しで役柄による台詞の変化を鮮やかに
演じ分けて好評であった。姫と安五郎の言葉が混じり合う『桜姫東文章』の
風鈴お姫(桜姫)や、『於染久松色読販』のお染の七役といった人物は、
彼にあてて書き下ろされたものである。
また、生世話物における「悪婆」という役柄を得意とした点でも
注目される。この役は、父が得意とした闊達な「お茶っぴい」に、
悪事も厭わない大胆さを加えたといった性質を持つ。
従来の女形の範疇を超えたこの役柄は、鶴屋南北と五代目半四郎の
二人があってこそ確立したものといえよう。
この悪婆は幕末の坂東しうか、三代目澤村田之助といった役者を経て
近代期にも受け継がれた。
出典 『歌舞伎の四百年』
本日は以上、戯筆でございました。
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